ごめんね、チロ

ネクタイ作家

2014年06月05日 14:13

※小学校3~4年生向けを意識して、お話を書きました。



「おばあちゃ―ん! ゴンタ、またえさのこしてるよ―!」
窓に顔を押しつけながら、犬小屋の前に置いてあるお皿を覗いて、ゆうたが言いました。
「いいのよ。暑くなるとね、食欲が落ちるの。そのうち食べるでしょう」
おばあちゃんはエプロンを外しながらやってきて、ソファにゆっくりと腰掛けました。
「たくさん犬を飼ってきたけれど、チロのことは忘れられない……チロにはかわいそうなことをしたと、思ってる」
おばあちゃんはそう言いながら、膝の上でエプロンを小さい四角にたたみました。
「チロってなぁに?」
「おばあちゃんが子供の頃に飼っていた犬よ。頭が良くてね、忠誠心の強い犬だった」
「ちゅうせいしんって、なあに?」
「ちゅうせいしんって、そうね、飼い主の言うことをよく聞いた、ってことかしらね」
おばあちゃんは瞼を軽く閉じてから、チロの話をはじめました。


昔、私が小学生だった頃、学校の帰り道に箱が置いてありました。
そこからキュンキュンと鳴き声が聞こえてきたので覗いてみると、薄い茶色で耳がペタンと垂れた、ぬいぐるみのようなふわふわした子犬がいました。
かわいくてかわいくて、私は箱から抱き上げて、そのままお家に連れて帰りました。
それで子犬はお家で飼うことになりました。
朝と夕方にお散歩へ行って、ごはんをあげて、私は学校から帰るのが楽しみで、いつもチロと遊んでいました。


「かわいいね」
「本当にかわいかったよ。おばあちゃん、その時はじめて犬を飼ったの。ずっと前から犬が好きだったから、お家に自分の犬がいることが、すごく嬉しかった」
ゆうたは外に向かって手を振ると、おばあちゃんの隣へ来て、ソファに座りました。
おばあちゃんはゆうたの頭を撫でて優しく笑うと、お話を続けました。


チロが5歳になった時、お父さんのお仕事が他の場所に変わって、私たち家族はみんな、引っ越しをしなければならなくなりました。
私はチロも連れて行きたいと言ったのだけれど、お父さんがダメだと言って、連れて行けないことになりました。新しいお家には、お庭が無いからです。
そしてある日、私が学校へ行っている間に、お母さんが、誰かチロを育ててくれる人がいないかと、近所の人に聞きに行きました。
そうしたら、そこにちょうどリヤカーを引いたおじさんが通りかかりました。
リヤカーというのは、昔に使われていた車です。タイヤが2個ついていて、木の板の上に荷物を乗せて、人が引っ張って運ぶのりものです。
そのおじさんがチロを見て、若くて元気そうだ、リヤカーを引っ張るのによく働いてくれそうだと言って、チロを貰ってくれることになりました。
チロを育ててくれる人が見つかってほっとしたお母さんは、そのおじさんにチロをあげてしまいました。
リヤカーにつながれたチロは、寂しそうにお母さんの方を見て、しばらくそこを動かなかったそうです。
それで仕方なく、お母さんはチロを残して、先にお家へ帰りました。
チロとはもう、お別れです。
それから毎日、私はチロのことを考えていました。
学校から帰ると、いつもしっぽを振って出迎えてくれたチロ。お散歩の時、早く行こうよ! と綱をぐいぐいと引っ張ったチロ。
色んなチロの姿が、頭の中に浮かびます。
チロに会いたい。
そう思っていた時、あの時のリヤカーのおじさんに会ったのです。その隣には、やせ細ったがりがりの犬がいました。チロに似ているけれど、違うと思いました。
それでおじさんに聞いてみると、その犬はチロだったのです。
チロは私たちと別れたあの日から、えさを食べないのだそうです。
煮干しをやっても、じょうとうなお肉をやっても全く食べなくて、おじさんも困っていました。
それで、私のお母さんがチロをお家に連れてきて、ご飯におみおつけをかけてあげてみたら、すごい勢いでガツガツと食べたのです。


「どうしてチロはおじさんのお家で、えさをたべないの? どうして?」
「…どうしてかしらね」
「おなかすくのに、どうしてたべないの?」
「おばあちゃんのお家が、良かったのかもしれないね。犬ってね、飼い主の言うことをよく聞くの。チロは赤ちゃんの時からおばあちゃんの家で育って、人間の家族と同じだった。あの時おじさんの所へ行くことになったけれど、それがどうしてなのか、チロには分からないでしょう? 突然、お父さんやお母さんだと思っていた人と離れることになったのだもの、チロは悲しい思いをしたと思う。動物は人間みたいにお話しはできないけれど、気持ちはあるんじゃないかと、おばあちゃんは思うのよ。だから人間が世話をするつもりで動物を飼うと決めた時は、最後まで、動物が死ぬ時まで、ちゃんと自分で見ててあげることは、とても大切なことなの。おばあちゃんが大人になってから犬を飼い続けているのは、子供の時の犬、チロを最後まで見ててあげられなくてごめんねって、そういう気持ちがあるからなのかもしれないわね」
「じゃあチロはまた、おじさんのところへいったの?」

おばあちゃんは少し、黙っていました。
そして、こう続けました。
「リヤカーのおじさんにはもうお願いができなくて、それでお父さんが、おばあちゃんのお父さんがね、チロを山へ連れて行って、置いてきたの。
でもチロは、山からひとりで、お家へ歩いて帰ってきたのよ。おばあちゃんはチロが戻ってきてくれたことが嬉しかったのだけど、お父さんがまた、今度はもっと遠くの山へ連れて行ってしまった」
「チロは? かえってきた?」
「帰ってこなかったわ」


おばあちゃんは、ソファから立ちあがって窓の方へ行き、お庭で寝ているゴンタを見ました。
「あなたは、私の大切な家族よ」
犬小屋の前に置いてあるお皿の中は、すっかり、空っぽになっていました。









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