2014年08月07日
あお君へ。
あお君、お元気ですか。
あなたがいなくなってから、私の心は、なんとなくいつもどこか、上の空です。
あんな形で突然に別れることになって、心の整理なんか、どうしていったら良いのかも分かりません。
思い出が、たくさん、ありすぎて。
ねぇ、覚えてる? 初めて会った時のこと。
話には聞いていたけど、噂どおりのスマートな顔立ちで、おしゃれで、礼儀正しくて、カッコいいなって思ったよ。
それから何度か会ううちに、いつもいつも優しいあなたのことがすっかり好きになってしまって、一緒におでかけするの、私、自慢だったんだ。
いつも助けてくれたね。いつも、傍にいてくれたよね。
初めての仕事で緊張している時、大丈夫だよって励ましてくれた。
健康診断の結果で要精密検査って言われた時、不安がる私を、あなたが毅然と病院へ連れて行ってくれて助かった。
人間関係で悩んでいた時も、黙ってただただ、聞いてくれた。
よく買い物にも行ったけど、いつも長い時間待たせる私に、文句ひとつ言わないでつきあってくれたし、お友達とランチをした時も、お友達があなたのことをカッコいいって、褒めていたんだよ。
そういうことも、あなたにちゃんと言葉にして伝えてあげればよかったな。
私、すごくあなたに感謝しているの。
あの日。
忘れもしない、あの日のあの出来事だけ、書き換えることができたなら。
いつも通り、私は安心していたよ。
外は小雨が降っていて寒そうだったけれど、私は温かい空間で、好きな音楽なんか聴いたりして、リラックスしていたと思う。
でもそれは強制的に、打ち破られた。
何? 何が起きたんだか、一瞬分からなかった。あんな衝撃、初めてだった。
そして次の瞬間、私は飛びだしたんだよね。そしてあなたを見た。
あなたの体は壊れ、ひび割れていた。スマートでおしゃれで、カッコいい自慢のあなたが、酷く傷ついていた。
私はみるみる怒りがこみ上げてきた。あなたを傷つけた人が、許せなかった。
でもあなたはそんな時も、声を荒げたりなんかせずに、私を、私の家族を守って、痛みに耐えていた。
ねぇ、あお君。あなたに、伝えたいことがある。
まず、何よりも私の大切な宝、息子を守ってくれてありがとう。
そして夫と私自身も、打撲はあったものの、脳や骨に異常は無く、通常通りの生活ができる程度の傷害で済んだ。本当に、ありがとう。
これから暫く通院して、身体の傷は治るかもしれない。でも心の後遺症が癒えることなんて、ないんだと思う。
あなたが体を張って私たちを守ってくれたから、この程度で助かったんだって、今では怒りも消え、あなたへの感謝の気持ちしか、残っていないの。
今日、新しい車の手続きを済ませてきたよ。真っ赤なシャツがよく似合ってた。
挨拶をしたら、そんなに感じ悪くはなかった。その時にディーラーさんに聞いたの。あなたがこれから、どうなるのかって。
あなたはもう、知っていたんだね。いくつか内臓を取り出したら、ぺちゃんこにされるんだって? 私それを聞いた瞬間、ついさっきまでなんともなかったのに、一気に水が溢れだしてきたんだよ。
それまでどこに、それだけの水が保管してあったのかと不思議なくらい、どこからか沢山の水が集まってきたんだ、ドバドバと流れてきた。
かわいそうだよ、あお君。私、あなたはきっと治って帰ってくるって、思っていたんだよ? 待っていたのに、そうだって信じていたのに。
ディーラーさんから電話がきて、結構深刻な状態だって聞かされた。
乗り換えることくらい、簡単なことかもしれない。でも私の気持ちは、そんな簡単には切り替えられないよ。
あお君。最後のお別れに行った時、あなたを見てやっぱりステキだなって思ったよ。
まだ誰にも知られていない海のような、明るくて深い、鮮やかなブルーの上に、所々真っ白な雪が落ちていて、それがキラキラと光っていてね、まるで吸いこまれそうな美しさだった。
でもね、どこか懐かしくってね、そりゃあそうだよね、ついこないだまで毎日、一緒にいたんだもの・・・。
運転席に座ってみた。キーを指し込んで、回してみた。何も言わない。目も開けない。もうエンジンも、かからなかった。泣いちゃってごめんね。心配するよね。最後まで、自分勝手でごめんね。
あお君。私たちはあなたのこと、忘れない。
これからも色々な所で、あなたに似た車を見かけると思う。その度に、あなたのことを思い出しては悲しい気持ちになるんだろうと思うと、乗り越える自信なんて沸かない。
まだまだ心の整理はつかないけれど、あお君、これからも私たちを見守っていてくれない? 心の中であなたを呼んだ時、ほんの一瞬でもいいから、私にサインをくれない?
あお君。強くて優しくてカッコいい、あお君。
あなたといた時間は幸せだった。ありがとう。
あなたがいなくなってから、私の心は、なんとなくいつもどこか、上の空です。
あんな形で突然に別れることになって、心の整理なんか、どうしていったら良いのかも分かりません。
思い出が、たくさん、ありすぎて。
ねぇ、覚えてる? 初めて会った時のこと。
話には聞いていたけど、噂どおりのスマートな顔立ちで、おしゃれで、礼儀正しくて、カッコいいなって思ったよ。
それから何度か会ううちに、いつもいつも優しいあなたのことがすっかり好きになってしまって、一緒におでかけするの、私、自慢だったんだ。
いつも助けてくれたね。いつも、傍にいてくれたよね。
初めての仕事で緊張している時、大丈夫だよって励ましてくれた。
健康診断の結果で要精密検査って言われた時、不安がる私を、あなたが毅然と病院へ連れて行ってくれて助かった。
人間関係で悩んでいた時も、黙ってただただ、聞いてくれた。
よく買い物にも行ったけど、いつも長い時間待たせる私に、文句ひとつ言わないでつきあってくれたし、お友達とランチをした時も、お友達があなたのことをカッコいいって、褒めていたんだよ。
そういうことも、あなたにちゃんと言葉にして伝えてあげればよかったな。
私、すごくあなたに感謝しているの。
あの日。
忘れもしない、あの日のあの出来事だけ、書き換えることができたなら。
いつも通り、私は安心していたよ。
外は小雨が降っていて寒そうだったけれど、私は温かい空間で、好きな音楽なんか聴いたりして、リラックスしていたと思う。
でもそれは強制的に、打ち破られた。
何? 何が起きたんだか、一瞬分からなかった。あんな衝撃、初めてだった。
そして次の瞬間、私は飛びだしたんだよね。そしてあなたを見た。
あなたの体は壊れ、ひび割れていた。スマートでおしゃれで、カッコいい自慢のあなたが、酷く傷ついていた。
私はみるみる怒りがこみ上げてきた。あなたを傷つけた人が、許せなかった。
でもあなたはそんな時も、声を荒げたりなんかせずに、私を、私の家族を守って、痛みに耐えていた。
ねぇ、あお君。あなたに、伝えたいことがある。
まず、何よりも私の大切な宝、息子を守ってくれてありがとう。
そして夫と私自身も、打撲はあったものの、脳や骨に異常は無く、通常通りの生活ができる程度の傷害で済んだ。本当に、ありがとう。
これから暫く通院して、身体の傷は治るかもしれない。でも心の後遺症が癒えることなんて、ないんだと思う。
あなたが体を張って私たちを守ってくれたから、この程度で助かったんだって、今では怒りも消え、あなたへの感謝の気持ちしか、残っていないの。
今日、新しい車の手続きを済ませてきたよ。真っ赤なシャツがよく似合ってた。
挨拶をしたら、そんなに感じ悪くはなかった。その時にディーラーさんに聞いたの。あなたがこれから、どうなるのかって。
あなたはもう、知っていたんだね。いくつか内臓を取り出したら、ぺちゃんこにされるんだって? 私それを聞いた瞬間、ついさっきまでなんともなかったのに、一気に水が溢れだしてきたんだよ。
それまでどこに、それだけの水が保管してあったのかと不思議なくらい、どこからか沢山の水が集まってきたんだ、ドバドバと流れてきた。
かわいそうだよ、あお君。私、あなたはきっと治って帰ってくるって、思っていたんだよ? 待っていたのに、そうだって信じていたのに。
ディーラーさんから電話がきて、結構深刻な状態だって聞かされた。
乗り換えることくらい、簡単なことかもしれない。でも私の気持ちは、そんな簡単には切り替えられないよ。
あお君。最後のお別れに行った時、あなたを見てやっぱりステキだなって思ったよ。
まだ誰にも知られていない海のような、明るくて深い、鮮やかなブルーの上に、所々真っ白な雪が落ちていて、それがキラキラと光っていてね、まるで吸いこまれそうな美しさだった。
でもね、どこか懐かしくってね、そりゃあそうだよね、ついこないだまで毎日、一緒にいたんだもの・・・。
運転席に座ってみた。キーを指し込んで、回してみた。何も言わない。目も開けない。もうエンジンも、かからなかった。泣いちゃってごめんね。心配するよね。最後まで、自分勝手でごめんね。
あお君。私たちはあなたのこと、忘れない。
これからも色々な所で、あなたに似た車を見かけると思う。その度に、あなたのことを思い出しては悲しい気持ちになるんだろうと思うと、乗り越える自信なんて沸かない。
まだまだ心の整理はつかないけれど、あお君、これからも私たちを見守っていてくれない? 心の中であなたを呼んだ時、ほんの一瞬でもいいから、私にサインをくれない?
あお君。強くて優しくてカッコいい、あお君。
あなたといた時間は幸せだった。ありがとう。
2014年06月05日
ごめんね、チロ
※小学校3~4年生向けを意識して、お話を書きました。
「おばあちゃ―ん! ゴンタ、またえさのこしてるよ―!」
窓に顔を押しつけながら、犬小屋の前に置いてあるお皿を覗いて、ゆうたが言いました。
「いいのよ。暑くなるとね、食欲が落ちるの。そのうち食べるでしょう」
おばあちゃんはエプロンを外しながらやってきて、ソファにゆっくりと腰掛けました。
「たくさん犬を飼ってきたけれど、チロのことは忘れられない……チロにはかわいそうなことをしたと、思ってる」
おばあちゃんはそう言いながら、膝の上でエプロンを小さい四角にたたみました。
「チロってなぁに?」
「おばあちゃんが子供の頃に飼っていた犬よ。頭が良くてね、忠誠心の強い犬だった」
「ちゅうせいしんって、なあに?」
「ちゅうせいしんって、そうね、飼い主の言うことをよく聞いた、ってことかしらね」
おばあちゃんは瞼を軽く閉じてから、チロの話をはじめました。
昔、私が小学生だった頃、学校の帰り道に箱が置いてありました。
そこからキュンキュンと鳴き声が聞こえてきたので覗いてみると、薄い茶色で耳がペタンと垂れた、ぬいぐるみのようなふわふわした子犬がいました。
かわいくてかわいくて、私は箱から抱き上げて、そのままお家に連れて帰りました。
それで子犬はお家で飼うことになりました。
朝と夕方にお散歩へ行って、ごはんをあげて、私は学校から帰るのが楽しみで、いつもチロと遊んでいました。
「かわいいね」
「本当にかわいかったよ。おばあちゃん、その時はじめて犬を飼ったの。ずっと前から犬が好きだったから、お家に自分の犬がいることが、すごく嬉しかった」
ゆうたは外に向かって手を振ると、おばあちゃんの隣へ来て、ソファに座りました。
おばあちゃんはゆうたの頭を撫でて優しく笑うと、お話を続けました。
チロが5歳になった時、お父さんのお仕事が他の場所に変わって、私たち家族はみんな、引っ越しをしなければならなくなりました。
私はチロも連れて行きたいと言ったのだけれど、お父さんがダメだと言って、連れて行けないことになりました。新しいお家には、お庭が無いからです。
そしてある日、私が学校へ行っている間に、お母さんが、誰かチロを育ててくれる人がいないかと、近所の人に聞きに行きました。
そうしたら、そこにちょうどリヤカーを引いたおじさんが通りかかりました。
リヤカーというのは、昔に使われていた車です。タイヤが2個ついていて、木の板の上に荷物を乗せて、人が引っ張って運ぶのりものです。
そのおじさんがチロを見て、若くて元気そうだ、リヤカーを引っ張るのによく働いてくれそうだと言って、チロを貰ってくれることになりました。
チロを育ててくれる人が見つかってほっとしたお母さんは、そのおじさんにチロをあげてしまいました。
リヤカーにつながれたチロは、寂しそうにお母さんの方を見て、しばらくそこを動かなかったそうです。
それで仕方なく、お母さんはチロを残して、先にお家へ帰りました。
チロとはもう、お別れです。
それから毎日、私はチロのことを考えていました。
学校から帰ると、いつもしっぽを振って出迎えてくれたチロ。お散歩の時、早く行こうよ! と綱をぐいぐいと引っ張ったチロ。
色んなチロの姿が、頭の中に浮かびます。
チロに会いたい。
そう思っていた時、あの時のリヤカーのおじさんに会ったのです。その隣には、やせ細ったがりがりの犬がいました。チロに似ているけれど、違うと思いました。
それでおじさんに聞いてみると、その犬はチロだったのです。
チロは私たちと別れたあの日から、えさを食べないのだそうです。
煮干しをやっても、じょうとうなお肉をやっても全く食べなくて、おじさんも困っていました。
それで、私のお母さんがチロをお家に連れてきて、ご飯におみおつけをかけてあげてみたら、すごい勢いでガツガツと食べたのです。
「どうしてチロはおじさんのお家で、えさをたべないの? どうして?」
「…どうしてかしらね」
「おなかすくのに、どうしてたべないの?」
「おばあちゃんのお家が、良かったのかもしれないね。犬ってね、飼い主の言うことをよく聞くの。チロは赤ちゃんの時からおばあちゃんの家で育って、人間の家族と同じだった。あの時おじさんの所へ行くことになったけれど、それがどうしてなのか、チロには分からないでしょう? 突然、お父さんやお母さんだと思っていた人と離れることになったのだもの、チロは悲しい思いをしたと思う。動物は人間みたいにお話しはできないけれど、気持ちはあるんじゃないかと、おばあちゃんは思うのよ。だから人間が世話をするつもりで動物を飼うと決めた時は、最後まで、動物が死ぬ時まで、ちゃんと自分で見ててあげることは、とても大切なことなの。おばあちゃんが大人になってから犬を飼い続けているのは、子供の時の犬、チロを最後まで見ててあげられなくてごめんねって、そういう気持ちがあるからなのかもしれないわね」
「じゃあチロはまた、おじさんのところへいったの?」
おばあちゃんは少し、黙っていました。
そして、こう続けました。
「リヤカーのおじさんにはもうお願いができなくて、それでお父さんが、おばあちゃんのお父さんがね、チロを山へ連れて行って、置いてきたの。
でもチロは、山からひとりで、お家へ歩いて帰ってきたのよ。おばあちゃんはチロが戻ってきてくれたことが嬉しかったのだけど、お父さんがまた、今度はもっと遠くの山へ連れて行ってしまった」
「チロは? かえってきた?」
「帰ってこなかったわ」
おばあちゃんは、ソファから立ちあがって窓の方へ行き、お庭で寝ているゴンタを見ました。
「あなたは、私の大切な家族よ」
犬小屋の前に置いてあるお皿の中は、すっかり、空っぽになっていました。
「おばあちゃ―ん! ゴンタ、またえさのこしてるよ―!」
窓に顔を押しつけながら、犬小屋の前に置いてあるお皿を覗いて、ゆうたが言いました。
「いいのよ。暑くなるとね、食欲が落ちるの。そのうち食べるでしょう」
おばあちゃんはエプロンを外しながらやってきて、ソファにゆっくりと腰掛けました。
「たくさん犬を飼ってきたけれど、チロのことは忘れられない……チロにはかわいそうなことをしたと、思ってる」
おばあちゃんはそう言いながら、膝の上でエプロンを小さい四角にたたみました。
「チロってなぁに?」
「おばあちゃんが子供の頃に飼っていた犬よ。頭が良くてね、忠誠心の強い犬だった」
「ちゅうせいしんって、なあに?」
「ちゅうせいしんって、そうね、飼い主の言うことをよく聞いた、ってことかしらね」
おばあちゃんは瞼を軽く閉じてから、チロの話をはじめました。
昔、私が小学生だった頃、学校の帰り道に箱が置いてありました。
そこからキュンキュンと鳴き声が聞こえてきたので覗いてみると、薄い茶色で耳がペタンと垂れた、ぬいぐるみのようなふわふわした子犬がいました。
かわいくてかわいくて、私は箱から抱き上げて、そのままお家に連れて帰りました。
それで子犬はお家で飼うことになりました。
朝と夕方にお散歩へ行って、ごはんをあげて、私は学校から帰るのが楽しみで、いつもチロと遊んでいました。
「かわいいね」
「本当にかわいかったよ。おばあちゃん、その時はじめて犬を飼ったの。ずっと前から犬が好きだったから、お家に自分の犬がいることが、すごく嬉しかった」
ゆうたは外に向かって手を振ると、おばあちゃんの隣へ来て、ソファに座りました。
おばあちゃんはゆうたの頭を撫でて優しく笑うと、お話を続けました。
チロが5歳になった時、お父さんのお仕事が他の場所に変わって、私たち家族はみんな、引っ越しをしなければならなくなりました。
私はチロも連れて行きたいと言ったのだけれど、お父さんがダメだと言って、連れて行けないことになりました。新しいお家には、お庭が無いからです。
そしてある日、私が学校へ行っている間に、お母さんが、誰かチロを育ててくれる人がいないかと、近所の人に聞きに行きました。
そうしたら、そこにちょうどリヤカーを引いたおじさんが通りかかりました。
リヤカーというのは、昔に使われていた車です。タイヤが2個ついていて、木の板の上に荷物を乗せて、人が引っ張って運ぶのりものです。
そのおじさんがチロを見て、若くて元気そうだ、リヤカーを引っ張るのによく働いてくれそうだと言って、チロを貰ってくれることになりました。
チロを育ててくれる人が見つかってほっとしたお母さんは、そのおじさんにチロをあげてしまいました。
リヤカーにつながれたチロは、寂しそうにお母さんの方を見て、しばらくそこを動かなかったそうです。
それで仕方なく、お母さんはチロを残して、先にお家へ帰りました。
チロとはもう、お別れです。
それから毎日、私はチロのことを考えていました。
学校から帰ると、いつもしっぽを振って出迎えてくれたチロ。お散歩の時、早く行こうよ! と綱をぐいぐいと引っ張ったチロ。
色んなチロの姿が、頭の中に浮かびます。
チロに会いたい。
そう思っていた時、あの時のリヤカーのおじさんに会ったのです。その隣には、やせ細ったがりがりの犬がいました。チロに似ているけれど、違うと思いました。
それでおじさんに聞いてみると、その犬はチロだったのです。
チロは私たちと別れたあの日から、えさを食べないのだそうです。
煮干しをやっても、じょうとうなお肉をやっても全く食べなくて、おじさんも困っていました。
それで、私のお母さんがチロをお家に連れてきて、ご飯におみおつけをかけてあげてみたら、すごい勢いでガツガツと食べたのです。
「どうしてチロはおじさんのお家で、えさをたべないの? どうして?」
「…どうしてかしらね」
「おなかすくのに、どうしてたべないの?」
「おばあちゃんのお家が、良かったのかもしれないね。犬ってね、飼い主の言うことをよく聞くの。チロは赤ちゃんの時からおばあちゃんの家で育って、人間の家族と同じだった。あの時おじさんの所へ行くことになったけれど、それがどうしてなのか、チロには分からないでしょう? 突然、お父さんやお母さんだと思っていた人と離れることになったのだもの、チロは悲しい思いをしたと思う。動物は人間みたいにお話しはできないけれど、気持ちはあるんじゃないかと、おばあちゃんは思うのよ。だから人間が世話をするつもりで動物を飼うと決めた時は、最後まで、動物が死ぬ時まで、ちゃんと自分で見ててあげることは、とても大切なことなの。おばあちゃんが大人になってから犬を飼い続けているのは、子供の時の犬、チロを最後まで見ててあげられなくてごめんねって、そういう気持ちがあるからなのかもしれないわね」
「じゃあチロはまた、おじさんのところへいったの?」
おばあちゃんは少し、黙っていました。
そして、こう続けました。
「リヤカーのおじさんにはもうお願いができなくて、それでお父さんが、おばあちゃんのお父さんがね、チロを山へ連れて行って、置いてきたの。
でもチロは、山からひとりで、お家へ歩いて帰ってきたのよ。おばあちゃんはチロが戻ってきてくれたことが嬉しかったのだけど、お父さんがまた、今度はもっと遠くの山へ連れて行ってしまった」
「チロは? かえってきた?」
「帰ってこなかったわ」
おばあちゃんは、ソファから立ちあがって窓の方へ行き、お庭で寝ているゴンタを見ました。
「あなたは、私の大切な家族よ」
犬小屋の前に置いてあるお皿の中は、すっかり、空っぽになっていました。